雨のち虹-お金と不安と仲良くなるためのブログ

お金との付き合い方が下手な私がお金と仲直りする全軌跡。問題の本質はお金ではなかった。

【苦しみを怖がらない】不安と弱さと恐れと生きる

主人の態度や言動がどうであれ、私は私自身で自分の人生をよりよくできる。こう信じられるようになってきて、いろんなことが元に戻り始めています。


あまりにショックで、このショックで人生終わったというくらいダメージ受けたわけだけど、たとえ最も大切な人からの裏切りであっても、私の人生も魂も心も壊されるようなことはないんだなと、今は分かるようになりました。


でね、関係性を変えようと思ったんです。正直、彼のことは今までのように全幅の信頼なんてできませんし、しなくていいんだって今は思ってます。だってできないだけの怪しい言動をされたんだもん。私は私を大切にしたいから、「前科者」を馬鹿正直に信じるようなマネはしたくないです。


それに傷ついたことも事実で、この傷が時々痛むのだけど、これも認めることにしました。頑張って乗り越えようとか、今は思ってない。それだけ傷ついたのだなあと、私の痛み、不安、恐れを認めてあげることにしています。


でね、上記みたいな状況でも主人のことを大切にできるんだなってことが、やり始めたら分かってきたの。


6,7割しか信じていなくても、時々苦しい時間を過ごすことになっても、いっぺん死んでこいと思っても(笑)、大切であることには変わらないものだなあと。どんなにキレても、親子の愛は変わらないのと同じで、夫婦の愛も最終的にはそういうところにいくのかもなって。


苦しみとか、悲しみとか、痛みとか、恐れとか、不安とか。マイナスと呼ばれる想いを胸に抱えていても、しあわせと感じることはできるし、投げ出すまでもない。それは私のしあわせも人生も、たかが主人の言動で奪われるようなものじゃないとやっと理解できたからかも。


お金の問題は、正直離婚するとスムーズになる。家を手放せるから任意整理じゃなく民事再生で返済額を小さくできる。で、私は一応大手企業に勤めているし、ひとりでも子育てできる自信もある。要するに、離婚でダメージ受けることってなにひとつないのです。


だからどうしても辛いなら、離婚してもいいんです、今すぐにだって。私なら新たなパートナーはすぐ見つかるし。実はすべての主導権はこちらにある。すべては、私がどうしたいか?こう思えるようになり本当に気が楽になってます。

【ハマりました】竜とそばかすの姫、2回観る。

8月に入り、やっと自分の楽しみに目が向くようになりました。で、娘ちゃん連れて「竜とそばかすの姫」を観ました。いやー大号泣でした。


で、置いてかれた息子氏が観たいというので、娘ちゃんと私と3人で再び鑑賞。2回目は泣かなかったけど、ストーリー追いかけて頭が大変だった初回に比べて、シンプルに音楽と映像を楽しめたかも。ストーリーわかった上であの世界に入ると、安心して没入できて良き。


*以下ネタバレ含みます


細田作品特有の、ほんのりした初恋と絡ませた子どもから大人に変わる時期の自己確立ストーリーではあるのだけど、プラス大きな喪失、悲しみ、痛みを乗り越えてゆくことが、全体を流れる重くて深いテーマだろうなと感じます。


6歳で母を失った鈴の10年ちょっと後のストーリーというのは、東日本の震災から10年というのと、なんだか被る。10年経っても消化できない、大切な人の死の「なぜ」。母との思い出につながるため歌えなくなってしまった鈴だけれど、もうひとりの自分が歌姫となり自らの歌によって癒されるんですよね。圧巻でした。


母の死に囚われたまま震えながら苦しみながら歌い出した鈴が、いつしか喪失の痛みよりも「あの子達を助けたい」想いが心の中で勝った時、川に向かった母の想いを理解する。母の行動の「なぜ」が腹落ちした時、癒しが起きた。これを音楽と映像で見事に表現していて、本当に圧巻でした。


私は前夫がガチな虐待環境で育った人だったので、ケイくんトモくん兄弟については「いやいや、そんなに甘く無いよー現実は」なんて正直感じてしまうところもあるのだけど、2回目を観てちょっとその想いにも変化があります。


ケイくんトモくん兄弟も、お母さんを亡くしているみたいです。だとしたらふたりを傷つける父親は、妻を亡くしているわけだ。なんか2回目観た時にね、このお父さんの苦しみと痛みが伝わってきたの。


幼い子どもたちを残して妻がいなくなるってこと。最近ほんと思うんだけど、精神的なストレスって、明らかに女性より男性の方が大きなダメージ食らう気がする。彼なりに大切だった伴侶の喪失に、父親は人が変わってしまったように感じます。「家族を引き離す気か!」というセリフから、大きな喪失と人生への絶望を感じたの。妻がいた頃は、本当はとても優しい父親だったのかなって。


鈴が何も言わずにただ子どもたちと父の間に立つ姿には、父親に対する「責め」ではなく、自らの傷に苦しむ人へのあわれみを感じました。父親が立ち去るしかできなかったのは、誰も触れることができなかった彼の苦しみを鈴がまっすぐ見つめたからだと思います。「バケモノの子」でも一郎彦へのあわれみを感じた。「みんな同じく、心に穴があるんだ。」その眼差しに暖かさを感じます。この親子が喪失の痛み、崩れてしまった家族から解放されることを願ってしまいます。


誰だって、心に大きな傷がつくことがある。でもその傷、あなた1人のものじゃない。ひとりぼっちにならないで。痛みを見せて。


心の傷は、人との触れ合いで癒されていくのかな、なんてことを感じました。






【愛って何よ】大切な人を大切にするということ

お金のことから始まって、主人に嫌われたかもしれない→浮気してるかもしれない→それらしい証拠をいくつか発見→メンタル崩壊、という流れを、4〜7月にかけてやってました。


近年稀に見る病み期だった。。。


精神科のお世話になり、職場にも打ち明け業務を調整してもらい、カウンセリングも受けたりして、8月頭にようやく、過去のトラウマがかなり問題を大きくしてること、自分を大切にするのがまずやること、ということに気がつき。


そこから湧き上がる怒りや疑いを主人にぶつけ、子どもたちがトラウマになるレベルで主人がキレるなどありまして、なんだかちょっと吹っ切れたところもある現在です。


なんかね、家族が大切、妻が大切なのは確かなんですよ。私を失いたくない、かけがえがないのも伝わるんですよ。でも一方で、それ以外の世界が欲しくて、そっちには一切口を挟んで欲しくないって感じなのです。


なんかね、もう私は悪くないんだな、ってすっかり腹落ちしてしまって。私には落ち度はない。そりゃ夫婦ですからそれなりに日々の不平不満はあるけれど、話し合いで解決できるレベルのものなんです。だからもう、他に目がいくのは、私のせいじゃなく、完全に主人の課題だなって、分かってしまいました。


つまり、私にはどうすることもできないってこと。


妻が私じゃなくても、同じことをする。まあ病気っていうのか癖っていうのか、そういうもの。そういう人なんだろうなと。「大切」の意味が、私とは違うのでしょう。


だから、もう私がどうしたいか?に尽きるなと納得しました。主人はそういう人。そういう面もある人。それでも一緒にいたいと思うのか、どうなのか。


そもそも、私はどうすることがしあわせなのか、どう生きていきたいのか。


主人の問題なんだと切り離せたことで、やっと前を向くことができました。この2,3週間は、時折メンタル弱ってまた主人のことに頭を占められることもありますが一時的で、基本は「私はどうしたいのか」「私はなにがしあわせなのか」を考え続けています。


私は…大切な人を、ただただ大切にする生き方がしたいなと思うんだ。


大切な人を気にかけ、成長を喜び、困った時には寄り添う。傷つけることなんて、当然だけどしない。そういう生き方ができた時、きっと私は心から嬉しいのです。


それにはまず自分自身を大切に扱う必要があるなと思っていて、まずは私に寄り添い、私を傷つけないことだろうと、今はそこを心がけています。


不安な気持ちになっている時は寄り添ってあげる。受け止めてあげる。でもずっと不安を抱えてると病むから、うまく手放せるように助けてあげたり。きっと私の扱い方が上手になれば、もっと大切な人なことも大切にできるようになると思います。


その上で主人のことを考えると、やっぱりまだ、私の大切な人なんです。決死の覚悟でお金のことを打ち明けたのに腹いせみたいに浮気されて?痛いよ!という方もいるでしょう。でもね、まだ大切なんです。


一緒に歳を重ねていきたいと思うんです。一緒にいろいろな経験をしたいんです。困った時に支えになりたい。だから、まだバッサリは切れない。


ただ。大切な人に大切にされない辛さは、過去十分に経験しました。そういう人と長く時間を過ごすことは、私の大切な「私」をないがしろにする行為。だから、どこかで決断することになるかもしれません。


今は淡々と、自分のできることをしています。自分自身を大切にしつつ、大切な人を大切にする。受ける傷を癒やし続ける。まだしばらく辛そうですが、年末までにはさらに純化されているような気もします。がんばろ。


【自分をゆるす】大切にされなかった私を、ゆるす。

過去のたくさんの傷。特に恋愛、結婚では悲しいほどたくさんの傷を負いました。


その全てが結局は「大切にされていなかった」ということにつながり、その原因は自分にあるのでは?と掘りまくったけど違った、という投稿は、先日した通りです。


で、私を大切にしなかったヤツラに対し、「ずっと溜め込んできた怒りを表に出す」ことができたわけですが、これだけではまだ不十分だったんだなと今感じています。


私は、「大切にされなかった私」「傷つきまくった私」をゆるしてあげよう。


当時からね、「なら別れればいいのに」「もっと堂々としていればいいのに」「傷ついたからってその行動はなしでしょ?」って、ただでさえ相手との関係で傷ついている私に向かって、さらに追い討ちをかけてたと思います。ゆるせなかったんだ、大切な人から大切にされてない私が。そして傷ついているのに何もできない自分が。


ごめんね、と言いたい。当時の私に。大切な人には大切にされるもの、それが当たり前だと思っていたのに、そうじゃない経験をしてどうしていいか分からない若干ハタチそこそこ、20代半ばの私に向かって、酷すぎたよね。


傷ついて当然だったし、何もできなくて当然だったし、どん底這いまわって当たり前だったし、それなのに「惨めな私をさらせない」と誰にも頼ることを許さず、ひとりでなんとかできるでしょ?なんとかしなきゃ!って、どんだけスパルタだったのでしょう。。。(涙)


認められなかったんですよね。惨めで傷つけられて弱い自分が。被害者にはなりたくないって思いが強すぎた、だから被害者になった。もし私が、あの時たったひとりでも私の味方になれていたら。きっと違った世界が広がったでしょう。


お金の問題もそう。ゆるせてなかった。こんな問題を抱えてしまった私を、情けなくて恥じていたのは私だった。ゆるしてあげよう。


とある方のブログに、こうありました。

次々に湧き出る自分のただただ癒し続けることが「ギフト」になる。 

私は今癒しの旅の途中なのでしょう。この癒しが、きっと私の人生におけるギフト。そう感じます。


【言動一致】本当に大切なら、行動が変わるはずだ。

「嘘をつかれる」経験を重ねてきました。耳元で君を大切にしている、かけがえがない存在だとささやく同じ人が、同じ言葉を別の人にもささやいていた。もしくは言葉と行動が一致せず、どう考えても私が傷つく行動を繰り返していた、という経験。


裏切られた。尊重されなかった。踏みにじられた。


ずーっとね、私自身がそんな扱いをされるような人間だから、そうされるのかなー?と思っていました。


んなわけねーしw


と、ようやく笑えるようになりました。そんなわけがない、ありえない。


あのヒトたちは、誰かを大切になんてできない人々だった。以上。それだけ。


でも私ってば、「嘘をつかれるのは私の中に嘘があるかもしれない」と、必死でないものを自分の中に探していたのよねw


おそらくあまりに「育ちが良すぎて」、そもそも嘘で塗り固めないと生きていけないようなヒトがこの世に存在することを想定できなかったところが、大いなる誤解の始まりだったのだと思います。


大切なら、その人の心が崩壊するようなことは避けるでしょ?大切なら、その人がしあわせであるために自分はなにができるか考えるでしょ?大切なら、もしそれができなくて失敗したり傷つけてしまったなら、過ちを認めて誠心誠意やり直すことを誓うでしょ?


でも大切なものを大切できない人、というか、そもそも口先で大切って言ってるだけで、本心はなにひとつ大切になんかできない人は、そういうことは分からないんだよね。


大切だって言うのは、そういえば自分にメリットがあるから。欲しいものが得られるから。逃げないから。離れないから。全部自分都合です。


バカだったなぁと思います。ほんとバカだった。そもそも「大切」が理解できない人に、あんなに心と時間を割いてきたなんて。


私は今、大切なものがあります。自分よりも大切なものがある。傷つけること、悲しませること、苦しませることは、何としても避けようとしています。だって大切だもの。でも時々は失敗します。その時は、自分の至らなさ、落ち度をちゃんと謝るようにしています。だって大切だから。


「君は大切だよ」という言葉に惑わされる生き方は、ここらで終わろうと思います。行動が伴っていないなら、行動が私を傷つけるなら、私は言われてるほど大切じゃないってこと。実にシンプル。


悟りの瞬間はスッと楽になるけれど、同じくスッと引き返せない哀しみがやってきますね。

【覚悟を決める】今の自分ではなく、自分がここから作り出す道にフォーカスする

心が苦しくなるのは、「愛されているか?」に固執している時。


愛されてる?愛されてない?私何かしたかな?何か言ったかな?何をしたら愛されるかな?


こんな思考でぐるぐるするから、メンタルやられるなだなぁとしみじみ。


処方されたお薬、調べてみたら双極性障害うつ状態に使われるものだそうで、つまりは躁うつ傾向があるってことのようです、私。で、私のこの躁うつを作り出している思考が、愛されているか否か?なんじゃないかなと思いました。


愛されていると感じれば気が大きく、愛されていないと感じればダウナーに。いずれにせよ、人からの愛で自分を測るわけで、そりゃ落ち着かないです。他人ばかり気になるし。


意識の大改革が必要だなと思います。愛を伺う生き方ではなく、愛を与える生き方へ。これはアドラーを読んでから心に留めてはいるのだけど、なかなか難しい。愛されていないかも、という恐怖が、こんなに私のメンタルを蝕んでいたとは思ってなかったし、こんなに愛することを知らなかったってことも驚き。


ただ、ヘルプを出した見ず知らずのブロガーさんに、アドバイスをいただきました。自分の生きる姿勢を意識せよ、と。背中を見せるという表現を使われていましたが、のちに続く人々に見せられるのは、正面の顔ではなく背中。背中が伝えるのは、生きてきた道、歩み、生き様。そこを意識するようにとのとこでした。


愛されるかな?愛されてるかな?というのは顔を見る生き方だと思うのです。私は顔ばかり見てるから辛い。そして背中を見せるというのは、自らの生きる姿を作っていくこと。


私は今、この状況からどんな生きる道を使っていこう?どんな姿を見せていこう?自分という小さな存在をどう意味づけするか?よりももっと大きな視点で、私の後に続くものを意識し、今の私がどんな道を作るべきか?考えないといけないなと思います。


しかし、現実を受け入れるのは辛いものですね。それにしてもホントお金はダミーだった(笑)。全く違うブログになりつつあります。



【メンタルクリニック】お薬もらったよ

「借金のストレス」で心身の調子を崩している、ということでお薬を処方していただきました。行ったのは職場近くの心療内科、精神科。


で、あまりに辛いのですぐ服用して24時間なのですが…。とにかく眠い。とにかく思考できない。


まあ考えすぎ、思い込みすぎるきらいが普段からあるので、多少脳の活動力が抑えられる方が、私には良いのでしょう。が、ずっと酔ってるみたいな感じなので不安です。


「気持ちが大きくなると借金しちゃわない?」と言われて、ああそういうところあるなと思いました。「なんとかなる!」って見切り発車しちゃう傾向。いただいたお薬は精神状態をフラットに近づけるものなので、衝動的に散財することも抑えてくれるそうです。


ここ数ヶ月は家計簿とにらめっこだしわりと抑えられていると思っているけれど、やっぱり気持ちが落ち着かなくなってからはカウンセリングにお金をかけることへの抵抗がぐっと少なくなっていました。こういうことなんだろうな、私のお金のくせ。少しずつ大丈夫な範囲を超えてしまう。


必要な出費だったと思いますが、でも後から無料の電話相談もあることをしったし、焦って手を出すこともなかったかなと、お薬服用中の今は思ったりします。


もうすぐ今日の分の服用なんだけど…。ちょっとこの頭の重さ、飲みたくないなぁと思っちゃうなぁ。