雨のち虹-お金と不安と仲良くなるためのブログ

お金との付き合い方が下手な私がお金と仲直りする全軌跡。問題の本質はお金ではなかった。

【夫婦関係】愛の受け取り下手

私は、追い詰められると心に蓋をしてしまう。


中絶後も父を亡くしたり、流産したり、色々ありました。その度に、そばにいて支えようとしてくれる男性に背を向け手を振り払い、一人で閉じこもってしまってた。まるで天の岩戸の天照。そうして自分自身を岩戸の奥へ、奥へと押し込んできたのだと思います。


今回借金という形で、私の中の「負」「みっともない姿」が大好きな主人の前に明らかになりました。筋腫も判明して、それに伴って過去の痛みが蘇ってきて。


どうせこんな私は見下げられて支えてもらえない。私はひとり。ひとりでやるしかない。その勝手な思い込みに囚われて、またひとりで閉じこもり始めてたのだと思います。自作自演の苦しみだよね。


この苦しみは、相手が心を閉ざしているせいじゃなかった。私がひとりで全部抱えて勝手にパンクしてただけだった。いらない!いらない!あっちへいってて!ってすべてを振り払って。


ひとりでなんとかするなんて、できるわけないのに。痛みは分け合っていい。差し出された愛は受け取ればいい。そんなこともわかりませんでした。そもそも、差し出されたものが愛ということにも気がつかないほどに、心の目が曇っていました。


今回だってそう。すべてのベクトルは私に向いているのに、私がひとりで全部の意味を取り違えていたのかもしれない。私に向いていないものとして、話を進めていたのかもしれない。


ほんと、稀に見る受け取り下手や(笑)。


愛されることも下手。愛することは知らない。私のスタートは伸び代しかない(笑)。



【メンタル】職場に打ち明けました

職場にとうとう打ち明けました。今のメンタルでは業務に支障が出る、と。


お金のこと、筋腫のこと、夫婦のこと、働きつつ子育てする身には、抱え込むには重すぎて。一応、業務量を減らして勤務は続ける方向だけど、昨日も目眩とふらつき、倦怠感で結局1時間と仕事ができず。


向かいの先の先輩には、「お子さんもいるんでしょ!体調管理はいい加減にしちゃダメ!帰りなさい」と心配され涙ぐんでしまいました。


中途半端に働くより、思い切って休んだ方がいいかもね、今は。


お金の心配はあります。もし休職するなら、毎月プール金分が入って来なくなる。それがいつまで続くのか。で、治療費はかかるしね。


ただ私がいると女性だらけで気遣いの深い我が職場、みんなにマイナス影響与えるだろうことは、かつて同じ職場にメンタル休職した先輩を知っているのでよくわかります。というわけで、メンタルクリニックに行くことにしました。


いろんなことがぐちゃぐちゃだからこそ、丁寧に整理して、できるところから少しずつ。

【子宮筋腫】過去の痛みが癒える時

25年前。当時ぞっこんだった彼の子を妊娠しました。私は学生。2人で悩み抜き、中絶を選択しました。


でも当時の私は、中絶がどれほどのことか分かってなかったんです。手術が終わり麻酔から覚めた私はそのまま取り乱し、ずっとずっと泣き続けていました。大好きな人の子を守れなかった。いのちを失ってしまった。


20歳なりたての私には、この痛みは重すぎました。本来ならカウンセリングに通うべきだったのでしょうが、そんなことまで気が回らなくて。


いつしか、この喪失感を大好きだった彼に向ける怒りで紛らわすようになりました。彼を避け、塞ぎ込み、心を閉し。ひとりで苦しみを享受?する私に、彼は彼なりに精一杯手を差し伸べていました。今なら分かる。でも当時は全く見えてなかった。


私は1人でこの苦しみを乗り越えなきゃならない。そう思い込んで、彼の手を振り払い続けていました。そしてリスカ、深酒、性に溺れて、いつ死んでもいいやって思って生きていました。


そのうち二人の心は離れ始め、その時になってようやく私は大切なものをまた失いかけていることに気がつきます。でも、もう遅い。もう無理。自暴自棄になり刹那的な関係を繰り返して、当然だけど向こうも浮気して、そして私たちの関係は破綻しました。


この彼への怒りが、ずーっと癒えてなかったんです。中絶の苦しみを乗り越えるために、私が作り出した怒り。それが向かった矛先は大好きだった彼でした。


愛の反対は無関心。怒りが湧くのは愛しているから。私は、それほど彼を好きだった。


それがわかって次に見えてきたのは、彼がどれだけ私を大切にしていたか、愛を注いでくれていたかということでした。


当時の私は私の痛みを癒すことに懸命で、彼の愛が見えていなかったのです。


想像以上に愛されていたんだな。記憶以上に大切だったのだな。


その事に気がついたらね、今まで私のそばにいた男性たちはみな、同じように全力で愛を注いでくれていたことも分かりました。だけど私は受け取らなかった。最初の怒りを大切にしていたから。


子宮筋腫は怒り、と言われます。まさにこの怒りだったのだろうと思います。子宮全摘は、この怒りはもういらないんだよってことでしょう。


愛されていた。大切にされていた。私の記憶とは真逆だった。だからもう、この怒りはいらない。もう怒りがなくても、悲しみを受け止めることができるから。


過去の意味づけ、ストーリーが変わる時、心の傷は癒えるのだなあと感じます。私は愛を見る目がなかったんだね。でもその目を得ることができたかもしれない。


今まで私を大切にしてくれた、全ての男性へ。あなたの愛を受け取らなくてごめんなさい。そして本当にありがとう。


主人の愛を受け取れる人になりたいです。


【お豆腐メンタル】愛されたい。女ですもの

借金をどうにかするぞ、と決めて実際に動き出してから4ヶ月です。4ヶ月前には戻れないのかな、なんて思うほどメンタルやられ気味の日々は続いております。。。


自分を誤魔化して生きるのはもう嫌だ、とこの問題に切り込むことに決めたわけだけど、切り込んでみたら1番デリケートな主人との関係が最大の関門ということが分かり。そしてそれは私の生き方全部に関わることだったことも分かり。


誤魔化しながら生きる方がよっぽど楽なのかもな、なんて思う今日この頃です。


SNSのキラキラ投稿が眩しい。不思議と羨ましいとはあまり思えないのは、私がやっても「嘘」だからって分かってるからかも。キラキラは真正キラキラな方々にお任せすればいいことだって、ハリボテのキラキラなんて安っぽいだけだって、今の私は分かっちゃってるからね。


仕事中でも急に苦しくなったり、涙が溢れてきたり、眠れないし、と思えばだるくて動けないし、心療内科に行ったら即診断下るレベルなのですが、健気に働いて子育てしてます。主人に見捨てられるのが怖くて、常に不安と恐怖で生きている。これを言ったらどう思われるか、これをしなかったらどうなるのかって。


急な出張が決まった主人に、帰りの予定を聞いたらものすごく冷たく「わかんない」。いやでも飛行機の予定とかあるはずで、チケット取ってないの?と聞いても「帰る時になったら帰るって、いつもと同じじゃないか!」と逆ギレして答えてくれない。


いろいろ勘ぐりますよね。なぜ妻に帰りの予定が言えないのか?って。それでよからぬ方向に妄想する自分が止められなくて、寝れなくて、寝たら悪夢を見て叫んで起きて。さすがにその姿を見て謝ってくれましたが、でも帰宅の予定は教えてくれなかった(笑)。


正直、いつメンタル崩壊するかなーーってどこかで冷静な自分が見ているような感じです。子どもたちがいるからまだ保てている。でもそろそろ限界だと思う。


このメンタル不調は自分を変えることによる副作用と思って、引き受けることにしてるけど。私もそんなに強くないです。


世の中のママたちは、「子どもがいればいい」って達観できている人も多いです。でも私は主人が好きだし、主人から愛されたい思いが人一倍強いのかもしれません。だけど、そのために愛されるための行動をしてこなかったし、主人が私から愛を感じる行動もしてこなかった。そのツケが今なんだろうなぁと思う。思うけど、それを受け入れてあきらめるほど、強くなれない。「主人から大切にされたい」そこなんです。


なんだろうなぁ。20歳の頃と全く同じ悩みじゃないか(笑)。愛されたい、愛されたい、そればっかり。自分を変えなきゃ。本気で。



【愛ってなんだ】愛されるためではなく、愛するための生き方とは

毎日乱高下のメンタルについてゆけないです。。。しかしアップダウンを繰り返す中で、私のメンタルが主人から愛されていると感じられるか(実際はともかく私の主観がそう感じるか)による、ということが分かってきました。


愛されているなーと感じれば落ち着くし、愛されてないかも〜と感じればソワソワし始める(笑)。分かりやすすぎる。まさにアドラー心理学の言うところの、「愛されるためのライフスタイル」なんだな。


赤ちゃんや子どもは愛されることが生存に関わるほど大事。面倒を見てくれる人=愛してくれる人がいないと、子どもは生きてゆけないから。なのでアドラー的には、人は皆愛されるためのライフスタイルを10〜12歳ごろに確立するのだそうです。


つまり「このやり方、このパターンなら愛される」という自分なりの処世術といいますか、行動パターンですね。


ところが、この愛されるためのライフスタイルはどこかで卒業しないと、いつまでたっても「愛されること」を追い求めてしまうので、当然人間関係に支障が出てくる。常に愛に飢えている人になってしまうから当然の話です。


で、アドラー的には愛されるためのライフスタイルではなく、愛するためのライフスタイルを身につけると本当の意味で自由に自分らしく生きられるようになる、ということなんですが…。


この愛するためのライフスタイルで言うところの「愛する」というのは、相手からの見返りは一切求めず、淡々と相手の幸せのために行動すること、なんだそうです。


むーーーりーーー…。


さらっと書いてあるけど、相当ハードル高いことです。できる人いるんかいな?と思うけれど、実は私は何人かこの無償の愛と言うべき愛のスタイルを確立している方々にお会いしたことがあるのです。


ご主人の不倫が発覚、大揉めに揉めて、もう別れたら?と周囲が言うほど憔悴しきっていた女性が、「私はまだ主人のことが好き。彼は一生変わらないかもしれないけれど、私はこの気持ちを大切にする!」と宣言、その姿にご主人が感動?してとても親密な関係を築いた方とか。


なんならうちのおばあちゃんは、おじいちゃんのお妾さんが病に倒れた時、ずっと面倒を見ていたらしい(その後お妾さんが亡くなり、残された子どもは養子として育て上げた)とか。


相手次第でいつやってくるか分からない愛を求めて右往左往する生き方ではなく、淡々と自分自身の愛を注ぐ生き方。そこに至る道は想像できないほど苦しいだろうに、それをやっての方々がいるんですよね。そしてその方達は、本当に魅力的です。


私も、そうありたいなぁと思うの。主人は私が初めて、何があっても一緒にいようと決めた人です。浅い決意だったかもしれないけれど、たしかに私は愛されるのではなく自ら愛することを決めて一緒になりました。その初心を貫きたいって思うの。


ただ、今まで愛されるためにどうするか?ということだけを考えて生きてきた身には、全てが初めてで辛いのです(笑)。気が緩むとすぐに、愛されてるかどうかを確かめようとしてしまう自分がいる。。。


お金のことも、子宮筋腫も、私の愛されるためのライフスタイルが作り出したものだなと理解しています。こういう困った事態を二度と繰り返さないためにも、私はライフスタイルを変えなきゃならない。それは何か別の愛されるための方法を見つけることじゃなく、そもそも愛されたいという思いを捨てなきゃいけないなと、感じています。


たださー。苦しいんだよぉぉ。


ホントこのブログ、お金のブログのはずがどんどん違う方向に展開しており、自分も戸惑ってます。。。

【子宮筋腫】お金のブログではなくなりつつある今日この頃。

もはや借金返済ブログではなくなりつつある…。お金の問題に悩む人へ。その悩みはフェイクだね。本当に悩んでいること、困っていること、恐れていることは別のところにあります。私のように。


お金の問題に向き合い始めた当初、見捨てられ不安に気がついたのですが、そもそもなぜ見捨てられると感じるのか?といえば、自分自身を「見捨てられて当然な存在」と見なしているから。


なんていうかな、「こんな私が生きていてすみません」という強い思いがあるのですね。この深い罪悪感というか自己否定感が、一気に強まってしまったある出来事が25年ほど前にあります。


今振り返ってみれば、この出来事によって私は相当なメンタルダメージを受けていました。本来なら専門のカウンセリングを受けるべきだったかもしれない。しかし当時はそんな知恵も知識もなく、すべて一人で飲み込んで向き合うことから全力で逃げていました。そのせいで、いろんな不具合が引き起こされるとも知らずに。


きっと本当に大切にしたいもの(主人と子どもたち)ができて初めて、このまま向き合わないで放置しつづけ、また同じ失敗を繰り返すことに無意識で恐怖を覚えるようになったのだと思います。だから苦しくて辛くても、自分自身に切り込んでいこうと決意してるのよね。大切なものを大切にしたいからこそ。


ようやく、振り返るだけの強さも身についたってこともあるかもしれない。きっと今までは、向き合うと人格崩壊するとでも感じていたのでしょう。


いずれにしても、とても傷ついた過去を紐解き、今後を良くするためにそこから何を得るか、腹決めてやるしかない状況です。。。

【アドラー】本気の愛は泥臭いものだよ

正直、お金のことは目処が立ちつつあることもあり、最近はそこまでストレスではありません。もともとなんで苦しかったかといえば返済額が大きすぎることだけであって、生活をミニマムに回すことはできていました。だから返済の負担が軽くなったこの3ヶ月は、以前と比べて格段に流れの良い状態を続けています。


でもこの「お金に向き合う」から始まった、自分の身体に向き合うこと、自分の思考のクセに向き合うことが思いの外しんどくてつらい日々です。


特にメンタル。お金うんぬんより、お金のことを主人に伝えることが何よりも怖かった。すごい恐怖を乗り越えて伝えたのは良いけれど、次は「こんなことを伝えてしまった私はもう用無しではないか?」という疑心暗鬼が寝込むほど辛く、この疑心暗鬼は子宮筋腫の痛みとホルモンバランスの崩れによってさらに肥大化。そして子どもの就学ストレスと、ダブルどころか何十にもメンタル追い込まれる系の出来事が重なっていて、ホント崩壊寸前を必死で止まっている感じです。


先日どうにも辛くてカウンセリングを受けましたが、別のカウンセラーさんにもお願いしてみました。すでに話を聞いたもらってますし主人とも話した後だったので、かなり冷静に受け答えでき、「カウンセリングいらないじゃん!」と言われる始末でしたが(笑)。


でもね、いるのです。なぜなら私は「本気で自分を変えたい」から。ズルズルと今のままの私に戻ることが怖いから。そしてホント綱渡りのようなメンタルでなんとか堪えているから、ちょっときっかけがあれば崩壊するなという恐怖を、私自身は感じているからです。


ただ、そんな中で久しぶりにアルフレッド・アドラーの解説書である「幸せになる勇気」を読み返して、この綱渡りは渡りきるしかないと思った次第です。


今、私は扱い慣れた子ども時代からの「愛されるためのライフスタイル」から「愛するライフスタイル」への転換期なのだと思う。どうやって愛されるか?から、どうやって愛するか?へ、ものの見方を全く変える時期にある。


今まで愛されてこそ価値があるという価値観で生きてきましたから、愛されていないと感じることは最大の恐怖です。でもたとえ愛されていないと感じても、それでも愛することにさらなる価値がある。自分自身がこの考えにまだ納得できていないのでしょう。愛されないかもしれない恐怖が強すぎて、メンタル不調を作り出してる(笑)。


愛する素晴らしさを信じて乗り越えることが、はたして私にできるかどうか。でもやらなきゃならないことなんだと思います。


人間は恐怖があると動けなくなります。だから私も無意識的に、私自身の目を「愛されていないかもしれない」と感じる事象に向けるように働きかけているようです。自分の心のその傾向を乗り越えていかないと。


子宮筋腫は不当な罪悪感、自分に厳しすぎる、という現れなのだそうです。罪悪感というか、どうせ愛されないという思いの現れでしょうね(笑)。愛されない自分を罰する方向に厳しさを使ってきたのなら、愛する自分になる方向にその厳しさを向けたいと思います。


言うは易し。しんどいなぁ(笑)。