【愛ってなんだ】愛されるためではなく、愛するための生き方とは
毎日乱高下のメンタルについてゆけないです。。。しかしアップダウンを繰り返す中で、私のメンタルが主人から愛されていると感じられるか(実際はともかく私の主観がそう感じるか)による、ということが分かってきました。
愛されているなーと感じれば落ち着くし、愛されてないかも〜と感じればソワソワし始める(笑)。分かりやすすぎる。まさにアドラー心理学の言うところの、「愛されるためのライフスタイル」なんだな。
赤ちゃんや子どもは愛されることが生存に関わるほど大事。面倒を見てくれる人=愛してくれる人がいないと、子どもは生きてゆけないから。なのでアドラー的には、人は皆愛されるためのライフスタイルを10〜12歳ごろに確立するのだそうです。
つまり「このやり方、このパターンなら愛される」という自分なりの処世術といいますか、行動パターンですね。
ところが、この愛されるためのライフスタイルはどこかで卒業しないと、いつまでたっても「愛されること」を追い求めてしまうので、当然人間関係に支障が出てくる。常に愛に飢えている人になってしまうから当然の話です。
で、アドラー的には愛されるためのライフスタイルではなく、愛するためのライフスタイルを身につけると本当の意味で自由に自分らしく生きられるようになる、ということなんですが…。
この愛するためのライフスタイルで言うところの「愛する」というのは、相手からの見返りは一切求めず、淡々と相手の幸せのために行動すること、なんだそうです。
むーーーりーーー…。
さらっと書いてあるけど、相当ハードル高いことです。できる人いるんかいな?と思うけれど、実は私は何人かこの無償の愛と言うべき愛のスタイルを確立している方々にお会いしたことがあるのです。
ご主人の不倫が発覚、大揉めに揉めて、もう別れたら?と周囲が言うほど憔悴しきっていた女性が、「私はまだ主人のことが好き。彼は一生変わらないかもしれないけれど、私はこの気持ちを大切にする!」と宣言、その姿にご主人が感動?してとても親密な関係を築いた方とか。
なんならうちのおばあちゃんは、おじいちゃんのお妾さんが病に倒れた時、ずっと面倒を見ていたらしい(その後お妾さんが亡くなり、残された子どもは養子として育て上げた)とか。
相手次第でいつやってくるか分からない愛を求めて右往左往する生き方ではなく、淡々と自分自身の愛を注ぐ生き方。そこに至る道は想像できないほど苦しいだろうに、それをやっての方々がいるんですよね。そしてその方達は、本当に魅力的です。
私も、そうありたいなぁと思うの。主人は私が初めて、何があっても一緒にいようと決めた人です。浅い決意だったかもしれないけれど、たしかに私は愛されるのではなく自ら愛することを決めて一緒になりました。その初心を貫きたいって思うの。
ただ、今まで愛されるためにどうするか?ということだけを考えて生きてきた身には、全てが初めてで辛いのです(笑)。気が緩むとすぐに、愛されてるかどうかを確かめようとしてしまう自分がいる。。。
お金のことも、子宮筋腫も、私の愛されるためのライフスタイルが作り出したものだなと理解しています。こういう困った事態を二度と繰り返さないためにも、私はライフスタイルを変えなきゃならない。それは何か別の愛されるための方法を見つけることじゃなく、そもそも愛されたいという思いを捨てなきゃいけないなと、感じています。
たださー。苦しいんだよぉぉ。
ホントこのブログ、お金のブログのはずがどんどん違う方向に展開しており、自分も戸惑ってます。。。